最近、AIが国連演説文を13時間と1000円のコストで生成したというニュースを見ました。このニュースを見て私が感じたことは、AIが進化することで人間の役割の本質って何なんだろう?ということです。国連の演説に限らず、文章を書くことはそう簡単なことではないわけで、私が人間でしか出来ないと思っていたことが、『実は人間じゃなくても出来るんだよ!』と言われているように感じたのです。なんか、自分が苦労して出来るようになったことが、いとも簡単に再現されるのは、やはり受け入れがたいしショックなものです。
でも、同時に感じたのは、こんな風にテクノロジーが進化すればするほど、人間の本質的な部分が浮かび上がるのではないか?ということです。つまり、AIなどのテクノロジーによって、人間じゃなくても出来ることがどんどん増えていった先にあるのは、人間でしかできないことであり、人間でしかできないことが重要視される世界なのではないか?テクノロジーの進化の果てには、人間の本質しか残らないのではないか?と思ったのです。
こんなことを考えているときに思ったのは「クルマ」です。クルマは人間に大きな力を与えたテクノロジーと言えるのではないでしょうか?クルマのない大昔であれば、どこか遠くに行こうとするとき、大昔であれば十分な体力と準備が必要であったのに、今ではちょっとした気まぐれさえあれば、どこにでも行けるようになりました。
この現象は、今のAIの現象とすごく似ていると思うわけです。本来であれば、短時間で遠くまで行くことのできる人は、多くの努力によって獲得した強靭な体力を持った一部の人だけの特権であったのに、クルマというテクノロジーによって誰でも簡単に短時間で遠くまで行けるようになったのですから。国連の演説文を書ける人なんて、そうそうなれるものではありませんよね。きっと長い時間をかけて取り組んできたからこそ、国連の演説文を書くまでになったのでしょう。なにせ世界中の人へのメッセージになるわけですから、選ばれた人であることは間違いありません。でも、実はそれはAIによって簡単に出来るよと言われているようなものです。
ある意味、テクノロジーの発展はそれまで人間がするには困難とされてきたものを実現してきたわけです。そして、AIによって、私たちが困難で出来なかったことを簡単に実現できるようになってきているということです。
そのような未来には、一体何が残るのでしょうか?私は色々と考えを巡らせましたが、結局のところ人間に残された役割は、意志を持つことであり、目的を持つことだということです。クルマの例では、気まぐれさえあればどこにでも行けると言いましたが、結局のところクルマというのは人間の意志や目的がなければ鉄くず同然です。人間に移動したい、早く遠くに移動したいという意志や目的がなければクルマなんて必要ではありません。クルマに価値があるのは、人間に意志があるからであり、早く遠くにいくことが簡単には実現できないからなのです。
マクルーハンは、世の中に存在する製品やサービスは、人間の一部を拡張したものであると言いました。例えば、クルマは人間の脚を拡張したものとして捉えるわけです。脚ですから、人間の意志によって動きます。脚には意志はなく脚は必ず人間の意志によって動くものです。だから、クルマも意志によって動くのであり、意志があるから価値があるのです。
そういう意味において、AIはきっと脳の拡張でしょう。中にはシンギュラリティが起こるかもしれないと考える人もいるかもしれませんが、それも結局は人間の意志によってどうにでもなるのではないかと考えています。人間が人間を殺すようなものかもしれません。
いずれにせよ、テクノロジーと言うのは人間の意志の奴隷であり、人間の意志に従事するものであり続けると私は思うわけです。そして、意志はあっても困難であったものを簡単に実現させるのがテクノロジーなのだと思うわけです。いわば、テクノロジーの進化によって人間の意志で多くのことが実現可能な世界になってきているということなのだと思うのです。
そういう意味において、テクノロジーの進化の果てには、人間の意志しか残らないのではないか?人間の本質的な部分は、結局のところ意志なのではないかと思うのです。実際、クルマにしても同じことだと思います。クルマを手にしたところで幸せになるわけでも心が豊かになるわけでもありませんし、何でもできるようになるわけではありません。クルマの使い方次第であり、クルマを使う人の意志によって全くその意味は違うように、AIもそれを使う人の意志によって良いものにもなるし、悪いものにもなるのだと思います。
また私は、マーケティングにテクノロジーを導入する仕事をしていることもあり、企業がMAやCRMを導入することにおいても同じだと思っています。MAやCRMは間違いなくツールであり道具なのです。それはつまり、使い方次第で良いものにもなるし、悪いものにもなるということです。それは間違いないことです。意志がない企業はテクノロジーを無駄にし、意志のある企業はテクノロジーを上手に使うというのは間違いのないことです。
私たちは、とても当たり前な世界に生きているんだと実感します。こうなりたいと思ったら、その方向に進んでいくのであり、こうしたいと思ったら、そのようになる世界に住んでいるのです。逆に言えば、こうなりたいとか、こうしたいがなければ、何にもならないし、なにも進まない世界に生きているのです。私たちが生きている世界は、意志によって出来ているのだと思うのです。こんなことをAIのニュースを読んで思いました。
よく、人生は目的があると楽しくなると言われますが、本当にそうなんだろうなと思います。人生を豊かにするのはモノでも、道具でもなくて、「こうしたい!」という意志なのでしょう。「自分自身のこうしたい」に忠実になることで、多くのことは達成できるのだと思います。