先日、1つのプロジェクトから離れることなりました。プロジェクト自体は続きますが、私自身が考えるキャリアと方向性があまりにも違うこともあり、離れることにしました。しかし、この記事ではそのプロジェクトの不平不満を伝えたいのではありません。というよりも、むしろ全く志とは違う仕事をすることによって気づいた仕事で得られる満足感というものの正体について書きたいのです。
私はこれまでマーケティングの仕事に長く携わってきました。しかし、今回のプロジェクトではそのマーケティングに遠い部分では関わってはいてもそのマーケティングの中心的な業務ではなく、正直なことを言えば、無駄な時間と考えていたくらいです。しかし、このこれまでとは全く関連性のないプロジェクトに関わったおかげで仕事について少し分かったような気がするのです。きっと、自分自身がやりたい仕事をしていたのでは気づけなかったことなのだと思うのです。
プロジェクトは、最初から炎上していました。その炎上を少しでも鎮火させるための方法の1つとして私が参画したわけですが、部長クラスのマネジメント能力の低さと担当者の経験不足、自分本位でしか考えない社員などにより混乱し、一向に良くなる兆しがありませんでした。正直なところ、業務自体は非常に簡単で以前担当していた会社では数名で回していたくらいの仕事なのですが、上記の理由によって10名近くのメンバーが参画しても炎上するばかりだったのです。
その中でプロマネでもない私が出来ることなんて、ほとんどありませんし、正直なところこのままいけば間違いなく短期間の間に終了することは間違いありませんでした。なので、自分の出来ることをやるだけやって目の前に迫った失敗を見届け、かつ自分のせいにされないように振舞っておこうと考えていました。恐らく全員がそのような気持ちだったはずです。それくらい危機的でした。
しかし、炎上している職場の中で一緒に過ごすメンバー同士には絆が生まれるものです。辛い環境に身を置いた人間同士にしか分からない「共感」が生まれるからでしょう。しかも、変な言い訳をしてその環境から逃げ出す社員を目の当たりにしていたので、なおさらメンバー間には強いつながりが生まれていました。
そのような中で良い方向に向かわせたのは、若い担当者の「気持ち」でした。彼自身社会人経験も浅くどうすべきなのか全く分からない状態ではあったものの、何とかしたいという「気持ち」がプロジェクトを良い方向に導いたのです。彼自信を非難するつもりはありませんが、おかしな判断やおかしな振る舞いが多く、どんどんクライアントからの信頼を失っていたわけですが、気持ちを持っていたからこそ、周りの経験のあるメンバーが彼を支える判断をし、アドバイスを積極的にするようになったのです。それでも、上司や部長、他の社員による現場を無視した身勝手な発言によって度々混乱しましたが、最後は現場を理解させ、正しい方向に進めることが出来ました。
そして、このプロジェクトを離れるに当たって感じたことは、このような苦しみを味わったメンバーとの共感は、きっと何年経っても笑いながら話せることだろうなということです。よく若者に昔の話を何度も言ってくるおじさんがいますが、きっとこのようなおじさんは、そのような苦しい状況を経験してきたからこそ伝えたいのです。おじさんは、「仕事っていいぞ!何年経ってもあの頃を思い出して笑いあえる仲間が増えるんだぞ!」ということなんだと思うのです。
仕事の良さはそこにあるのだと思います。逆に、何も本気で取り組まない職場というのは本当の地獄なのだとも思いました。苦しい場面ですぐ逃げることや楽な選択ばかりをして仕事を単純にこなしているだけの職場にいた人には、素晴らしい仲間や心に残る財産を持つことは出来ないのだろうと感じるのです。きっと数年経つと「一体私は何をしていたのだろう?」と感じながらも楽な方に流れて死んでいくのだと思います。
働くことは生きることとは言いますが、せっかく生きるのであれば、素晴らしい仲間と様々な困難に立ち向かい頑張って生きたほうがいいのは当然のことなのではないでしょうか?死ぬときに、何もなかった人生は良い人生とは言えないと思います。このプロジェクトは、そのようなことを改めて感じさせてくれるものだったと思います。
しかし、この気持ちには危険な側面もあるとも感じます。このような人とのつながりの強さは、多くの場合、強力なものであり強力だからこそ人の人生を大きく左右します。つまらない仕事でも、このような仲間を得られることは良いことですが、それは逆に言えば、つまらない仕事を永遠に続けるための強力な要因にもなるということです。そのあたりのバランスはある程度は考えなければならないでしょう。
しかし、やりたい仕事をしているかどうかは大きな問題ではありません。問題は『本気で仕事をしているか』どうかです。やりたい仕事だろうがやりたくない仕事だろうが、本気で仕事をする人には得られるものがあり、適当に仕事をする人には得られないものがあるということです。本気で仕事をした人には、何年経っても語り合える仲間が増えていくでしょうが、本気で仕事をしていない人には、仲間も思い出も何も残らないのだと思います。
このプロジェクトに、嫌々関わった人や言われるがままに参画されたメンバーなど様々な人がいましたが、彼らにもそのことに気づいていてくれればいいなと思います。どんな仕事でも本気でやれと、そして本気でやった人だけにその次があるということを。