何かを成し遂げるためには約10,000時間以上の時間が必要だと言う。しかし現実的に考えてそれはかなり困難なことだ。殆どの人が成し遂げることが出来ないだろう。しかし、それができる人はおそらく何かの中毒なんだと思う。
中毒者というのは、それなしには生きていけない人のことである。アルコール中毒にしてもアルコールを飲まなければイライラしてしまうような人たちであり、セックス中毒の人はセックスせずにいられないような人たちである。
中毒と言うと、かなりネガティブな印象を受けてしまうが、本当にそうなのだろうかと思う時もある。今、多くの成功を成し遂げている人たちは、ある分野において中毒者だったのではないかと私は時々思うことがある。例えばMicrosoftのビルゲイツは1日中プログラミングをしていても夢中になれたという。これはこれで既に才能と言えるものだ。そして、それだけ寝食を忘れて熱中できると言う意味において中毒者であると思う。
普通の人であれば、嫌になってしまうほどの量の思考量と行動量があったとしても全く気にせず、その行為を続けることができるというのは、中毒者でありかつ成功者になるための絶対条件なのではないかと思うのである。
最近、こんな中毒者が減ってきたのではないかと思う時がある。何かに夢中になって時間が経つのも忘れ何かをし続けると言う事は、非常に素晴らしいことである。特に何かを作り出す人間である場合は、この才能は重要であるし、何かで成功を収めたいと言う場合には最低条件ではないのかと思うことがある。しかし、最近は何かとバランスを取ろうとするばかりである。ワークライフバランスはそれはそれで良いのだが、それは何かを成し遂げると言う意味においては、意味がないのではないかと思う。何か嫌なことをしなければならないときには、ワークライフバランスをとることが大切だろう。ずっと嫌なことをやっている事はストレスがかかることであり、継続する事は困難だ。しかし、それは仕事が嫌なことをすることを前提にしていないだろうか?給料は我慢の値段という前提に少し違和感を感じないでもない。
マーケティング能力を身に付けたいと言う人がたくさんいるが、その中にどのくらいマーケティング中毒者がいるのだろうかと思う。どんな分野においてもそうであるが、中毒者になるのはほんの一部の人間だけである。
ある人はこのようなことを言う。楽しんでいる人には勝てない。このことは、結局のところ中毒者になるためのノウハウなのかもしれないと思っている。何時間でも何日でもそれをやり続けるためのコツというか方法論の1つなのではないかと思う。また、我々凡人でも少しでも天才に近づくための方法論とも言えるのかもしれない。
仕事を苦しいと思うのではなく楽しいと思うことができるかどうか、何十時間とやり続けても、なお楽しいと思えるようになれるかどうか。その楽しむための努力を行えるよう環境を整え自分自身を仕向けていくことができるかどうか。それがマーケティング能力の向上に限らず何かを成し遂げるために大切なことなのだと思う。