もうだめだ。そう思った時が始まりとはよく言ったものだ。
今までの人生を短いけど振り返ってみると、自分はもうだめだと思った時に、もう一踏ん張りしたことで成長してきたように感じる。自分の能力や才能が完全に足りない。圧倒的に何かが足りない。そんなことを絶望的に感じても、それでも何か出来るのではないかと妄想が走り出す。才能のない自分を認めたくなかったのかもしれない。でも、「あと少し、もう少し」とやってきた時間が最も意味のある時間だったような気がする。それがあったからこそ今の自分がいるような気がするのだ。出来て当たり前のことをやっていた時間よりも、ちょっとでも気を緩めれば、すぐにでも奈落の底に落ちていくようなギリギリの状態で取り組んできた時間の方が圧倒的に意味のある時間であるような気がしてならない。もうダメだ。これ以上は絶対にできない。そう思った時から始めたほんの少しの頑張りが自分の中の財産になっている。「あと少しもう少し」の積み重ねが自分の財産になっている。
もうダメだ。と思った時が始まりとはよく言ったものだ。
死にそうになってまでやる意味はないと多くの人はいう。でも自分はそうじゃないことを何となくだけど分かっている。死にそうにもならないような日々に意味はない。死にそうになりながらも、出来ることを出来る限りやる、そして、ほんの少しだけ前に進むことに大きな意味があるのだと思う。本当に死んでしまうのかもしれないからこそ意味があるのだ。それが自分の生き方なのだと感じる。そうすることでしか自分は生きる意味を感じることができない。そんな人間なのだと思う。
バカなのかもしれない。それは正しいと思う。でも多かれ少なかれ誰でもそんなところはあるものだ。もっと楽に暮らせるのにそうしない。敢えて苦しい道を選ぶバカ。別にどちらがいいというわけじゃない。自分がどう感じるかどう生きるのかなのだと思う。人はそれぞれ。その意味をほんの少しだけわかったような気がする。感覚的に。
多くの人に否定されボロボロになって絶対にダメだと思った時、自分の本当の姿が現れる。何のしがらみもない純粋な自分が現れそこには何の恥も決まり事もない。泥だらけで地面を這いつくばっているその限界の境界線にいる時が本当に成長するスタートラインなのだ。その瞬間に行う行為は誰の影響も受けない真に自分自身がやりたいことであり、例え失敗したとしても何の後悔も批判もない。やったあとは充実感しか存在しない。そんな行為である。そして、それが自分自身を最も成長させるし、まさにそれが生きているということなのだと思う。
「あと少し、もう少し」
それが今の自分を作り上げている。