近年、多くのツールベンダーから「見える化」するためのクラウド製品が販売されている。これまで見えていなかったことを見えるようにすることで、やるべきことが見えてくるというふれ込みだ。例えば、営業であればパイプラインの状況を数値で簡単に見える化することで、問題箇所やどこでスタックする傾向があるのかを発見できたり、失注案件から失注の原因を特定し、営業改善に活用するなどである。これらのツールを上手く使いこなせば、きっと良い結果を得ることが出来ると思わせるものである。
しかし、当然であるがこれらツールによって色んな情報を知ることが出来るようになったとしても、そもそもの課題解決に繋がらなければ、意味がないことは言うまでもないだろう。例えば、パイプラインの数値が見えるようになってスタックしているところが分かっても、失注する最大の原因が競合他社製品との比較で圧倒的に劣っていることであるとすれば、ツールを導入したところで売上が上がることはない。効率化というメリットもあるが、本質的な課題からズレたことに投資をしたところで、大きな成果に結びつくことはない。
ツールを導入しても成果が出ないのは、かなり分かりやすく言うと上記のような本質的な課題とのズレが原因である。結局は、ツール導入によって売上が上がるかもしれないと単純に考え、何も本質的な課題に向き合わずに導入を決めてしまうことに最大の過ちがある。
もちろん、数値化することによって思考の幅が広がり、創造的になる場合もある。目標数値を上げるために、その数値に影響する要素を考え、各要素を高めるための行動をリスト化しスケジュールに落とし込んでいくのだ。このようなことが出来れば、見える化した成果は出やすい。種まきが重要な要素だと気づけば、それを実践するのだ。しかし、このような合理的な考え方を出来る人は、実際にはほとんどいない。ある意味このようなツールベンダーが理想的な使い方として提唱しているやり方は、あまりにも高度であり、実践することは実際には難しいものだ。
そもそも、人間は情報に影響される生き物である。そのため、数値化や見える化によって、各社員に情報が与えられ企業が進むべき方向性が統一されるという意味においてはメリットがあるが、本来見るべきものが見えなくなってしまうという可能性もあるということだ。自由に発想される余地がもし、数値化や見える化によって失われるのであればそれは失敗を意味するのである。それまでは数値に縛られず、自由に発想していたものが、見える化によって意識が数字を上げることに向けられてしまい、無駄なことはせず、本来は重要な地道な種まきを辞めてしまう人も出てくる。
また、このように会社から社員への情報提供によって人が変化するのとは別に、自ら情報を収集することで変に変わってしまう人も多くいる。例えば、マーケティングを勉強するまでは、実務者を驚かせるような発想を持った人が、マーケティングを勉強すればするほど、その発想力を失ってしまうことがある。これは、マーケティングの教科書に載っている理論や考え方に影響を受け過ぎてしまい、それまでの自分なりの発想や考え方が失われるからだ。
別の記事でも書いたが、皆と同じ情報・同じ考え方を持つと新しい価値を生み出せなくなる。なぜなら、多くの人と同じものを生み出す結果になるからだ。実務に従事している人であれば分かると思うが、マーケティングにおいて価値ある企画・提案と評価されるときは、マーケティングの理論によってではなく、自分の発想であったり、考え方、自分のオリジナリティから生まれているはずである。
日本は特にそうだが、「こう考えるべきだ!」という力がどこでも大きく作用している。それはマーケティングにおいても同じで、マーケティングはこうあるべきだとか、こう考えるべきだという「べき論」が存在する。会社によっても人によってもその「べき論」が振りかざされる。そのような「べき論」によって、自身の考え方やオリジナリティを自ら潰してしまう人が案外多いことに非常に残念な気持ちになる。
マーケティング理論などの情報は絶対必要であるが、それら情報に押しつぶされないよう、自分自身の考え方・感性を大切にしておいて欲しいし、周囲の人もそれら考え方・感性を否定せず、肯定的に受け入れなければならない。
いずれにせよ、人は自分自身の中に取り込む情報によって変化するものである。だからこそ、会社としてはどんな情報を提供して、どう取り込んでもらうのかを真剣に考えなければならない。そして、各個人もどんな情報ををどう吸収していくべきなのかを自分自身で考えなければ、情報に流されて自分を見失うだけになってしまう。