論理とは、いくつかの根拠と主張を繋ぐ思考プロセスである。例えば、空を見ると暗い雲に覆われており、天気予報では降水確率が80%であり、なんか湿っぽい感じがするという3つの根拠から、傘を持って外出したほうが良いという主張が導き出される思考プロセスを論理と言い、このような構造を論理構造という。逆に、今夏はエルニーニョ現象が発生する予報があり、令和という新しい時代が始まり、来年は東京オリンピックがあるという3つの事象から、再来年は良い年になるという主張は論理的ではない。3つの事象から再来年は良い年になるという主張は導き出すことが出来ないからだ。
論理は、思考する人の属人的な要素を超えて、誰もが納得できるような結論を得るための、客観的正しさを担保してくれる思考方法である。よって、ビジネスの世界において論理は非常に重要な要素となる。各々の勝手な考え方によって、人は動かないし、お金は動かないからだ。きっちりとした論理によって説明することが出来てこそ、ビジネスは成り立つものである。
それは、マーケティングにおいても同様である。近年は特にデータを重要視するようになったのも、論理的思考の重要性が広く広まったからに他ならない。客観的なデータによってこそ、間違いのない結論が導き出されると誰もが考えている。
しかし、データを活用したところで目に見える実績を上げている企業が少ないのはなぜなのだろうか?その一つの問題は、論理的に進めることが出来てないからだ。上記で説明したように、論理とはいつかの根拠と主張を繋ぐ思考プロセスである。つまり、いくつかの根拠からある主張を導き出さなければ論理構造になっていないということだ。しかし、データをいくら分析してみても、何らかの主張を導き出すことが出来ないという事態がどんな企業でも発生する。データをかき集めて、AIに分析させても過去に人間が分析したような結果しか導き出すことが出来ないのだ。これでは、論理的に何の進展もない状態ということであり、多額の投資にも関わらず何も前進させることが出来なかったということである。
なぜ、このような事態になるのかというと、データは顧客のほんの一部しか表現していないからだ。多くの人は大量のデータが手に入れば何でも分かるのだという幻想を抱いているが、データは顧客のふるまいを数値に変換したものであり、データは顧客のすべてをキャッチしていない。分かりやすく言えば、顧客の感情を数値で表現している時点でかなり正確性を欠いてしまっているし、顧客は常に心変わりし、様々な情報に影響されて変化しているが、それをデータで補足するためには、人間に脳波測定チップなどを埋め込み常にモニタリングしなければ不可能である。しかし、実際にはそのようなことは不可能であり、データでは顧客の半分も表現できていないのだ。
つまりは、そもそもデータから新しい主張を導き出すには、データが正確じゃないし、データが圧倒的に不足しているから、データをいくらかき集めても主張を導き出すことが出来ないのだ。つまりは、論理的に進展させることが出来ないのだ。
また、マーケティング施策におけるPDCAを回しても成果が上がってこないのも、論理的進展がないからである。PDCAは、施策によって得られたデータや状態をもとにさらに良い施策をスピード感をもって進めることで徐々に改善していく方法論である。しかし、それは言い換えれば、施策によって新しいデータや情報を手に入れられなければ、より良い施策を実施することは出来ないということだ。多くのマーケティング担当者がハマっているのもこのような状態だ。色んな施策はするものの、その施策の結果から新しいデータを入手することが出来ないのだ。これまでと同じようなデータがいくら集まっても、より良い施策が何なのか分からない。それではスピード感をもって改善することは不可能である。
このPDCAを回す人間として、気を付けなければならないのは、施策によって新しいデータや情報が手に入るのか?これまでと同じデータや情報しか手に入らないのではないか?という疑問を自らに問いかけることだ。どんなに新しい施策でも、これまでの主張を証明するだけに終わるのであれば、論理的進展はないのだ。そのためにも、どんなデータ・情報があれば、より良い施策になりそうなのかということまで考えなければならない。そして、必要なデータ・情報を獲得するためにどんな施策をする必要があるのかを考えなければならない。
しかし、そのようなデータ収集だけでは限界がある。上記に記載したようにデータは結局は顧客のほんの一部を数値に変換したものに過ぎないからだ。この不完全なデータをいくら集めて分析してもどこまでいっても不完全な主張しか手に入れることは出来ない。では、どうすれば良いのか?であるが、それはデータ以外の定性的なデータや情報から主張(仮説)を導き出すことだ。
データで表現できないのであれば、顧客から発信されるそれ以外の情報から推論するしかない。データ以外の顧客が発信する情報とは、買い物中のふるまいや表情からマーケターが顧客を観察した結果であり、感覚的な情報である。データ至上主義的な時代になってもマーケターであれば、顧客と対話し観察するべきだという主張が未だに納得感をもって通用するのは、データの不完全さと未だ感覚的な主張が有効であることの証ではないだろうか。
それに、ビックデータを解析して分かったことの多くには、これまでマーケターが感覚的に考えていたことが含まれていることが多い。楽天はビックデータを解析し、ステテコが父の日に売れるかもしれないという結果を導き出した。しかし、その数年前にユニクロが父の日用にステテコを販売する施策を実施していた。このユニクロの施策はデータを解析したのではなくマーケターが顧客をより良く知っていたからに他ならない。
決して、データを否定するつもりはない。データを得られるメリットは多くあるし、今後さらに多くのデータが得られることを考えるとデータドリブンなマーケティングの重要性は高まることは間違いない。しかし、注意しなければならないのは、どんなにデータが重要になっても感覚的な定性的な情報はどこまで行っても重要なのは変わらないし、データでは見ることの出来ない部分は、この感覚・定性的な情報から導き出すしかないということである。