マーケティング関連の記事を書いていますが、基本思いつきのメモです。なので、記事を信じないでください(笑)

日本企業は論理的思考に浸食され過ぎている

日本人には「家系」を重視する意識が強かったと言われている。もちろん、血縁関係も重視されるが、それ以上に「〇〇家」が継続することが重要であるために、養子がその家を継ぐことも多かった。

古代日本人にとって「家」とは、アイデンティティの基礎となるものである。どの「家」なのかによって同じ日本人でも考え方や感じ方は特殊であり、それを守ることが重要であった。しかし、そのような「家制度」を破壊するのが「個人の台頭」である。強烈な個性を持った人間はその「家」に納まりきらなくなる。そのようなとき、「個人」を優先すべきなのか?「家」を優先すべきなのか?という葛藤が生まれる。このようなことをテーマとした物語は日本の古代から存在するので、きっと昔からそういう人がいたのだろう。しかし、いずれにせよその「家制度」によって多くの人間が安心して生きることが出来たはずである。

しかし、ここで言いたいのは「家」と「個人」の関係についてではない。そうではなく「会社」と「個人」の関係についてである。上記の「家制度」に現代の「会社」を想起せるからだ。同じ日本人でありながら「会社」が違えば、考え方と感じ方は異なる。そして、それらの考え方と感じ方を長く存続させようとする様相は「家制度」そのものである。大きな「会社」に入社することによって、考え方や感じ方をその会社の流儀に合わせることでその会社の存続に捧げる様相、会社に入ることで社会に属しているという安心感を得られるという認識は「家制度」そのものである。つまり、日本古代から受け継いできた「家制度」は「会社」によって引き継がれていると考えて良いのではないだろうか。

しかし、現代において「会社」と「個人」の関係は崩れてきているように感じるのは私だけではないだろう。今の会社は段々とであるがその会社の流儀である考え方や感じ方というものが希薄になりつつある。どの会社に行っても、大体同じような考え方であり、同じような感じ方を要求される。以前よりも、企業間の特徴は消えてきている。それを反映するかのように、日本市場に存在する製品サービスは汎用化している。どの製品サービスも同じようなものばかりである。私は、マーケティング業界にいるが、マーケティング戦略の考え方も同じである。みんながみんな同じように考える。その結果として、同じような戦略が生まれ、どの企業も同じような戦略で戦っている。

これら同質化の原因は「論理的思考」にあることは疑いようがない。論理的思考の強力な力によって、日本企業独自の考え方や感じ方が否定され、消えてしまったことが原因である。多くの企業経営者は、そのことに気づいてはいても、会社の考え方が論理的でなければ入社を希望する人は少なくなるばかりだし、退職者を生み出すという葛藤に苦しむ。

このような時代において、再び社内旅行を再開する企業が出てきたり、社内イベントを実施し、会社の考え方を徹底するために試行錯誤する企業が増えてきたのは、論理的思考が行き過ぎたことへの「ゆりもどし」として認識してよいだろう。現代の流れを意識しつつも、論理的思考だけでは事業を成長させることが出来なくなった事実が経営者をこのような行動に駆り立てているのだ。

現代の日本企業はこのような大きな困難に遭遇している。論理的思考という強力な力と個性をどう融合させていくのか?この問題に適切に適合させた企業が生き残っていくことは間違いない。論理的思考に舵を切れば、その企業の個性は失われる。企業の個性に舵を切れば、合理性が失われる。企業は今、非常に難しい時代を迎えている。

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