結局のところ、「かっこいい」「かわいい」「楽しい」が最大のモチベーションになるのではないかと私は思うことがある。
仕事している自分が「かっこいい」と思えるなら、仕事をしたくなるし、暮らし方が「かっこいい」と感じるなら、暮らしをより良くしようとする。ある行為自体が「かっこいい」「かわいい」「楽しい」と感じる行為には、継続力があるしより良くしようとする向上心がついてくる。
この話は、何もマーケティングに限った話ではない。毎日やらなければならない単調でかつ機械的な作業に対しても言うことが出来る。とあるクライアントの業務改善を考えたとき、あまりにも面倒な仕事をしていることに気づいた。しかし、その作業は必要不可欠であり欠かせないものでもあった。私は、興味本位でなぜそんな単調かつ単純な作業を毎日のように出来るのか?と聞いてみた。私の予想では「仕事だから」とか「しょうがない」とか「仕事ってこんなもんでしょ?」という諦めのコメントが返ってくるのかと思っていたが、全然違った。
その人が言うには、単純にその仕事が何となく「カッコいい」と感じているからだそうだ。もちろん、その仕事の重要性は理解しているのだが、そのことについては最初のころ意識していたものの、徐々にその気持ちも薄れていき、今もこの仕事を続けていられるのは「カッコいい」からだというのである。具体的な作業内容は、言えないが実はその業務をしていることが社内的には「カッコいい」部類に入る仕事らしいのである。
あまりの意外さに言葉を失ってしまったが、私もそのようなことがこれまでにもあったなと思い直した。10代のころはスタバでmacを開いて何か作業をしていること自体がカッコよかったし、目的もなくおしゃれをして歩くこと自体がカッコよかった。実際には、macでネットサーフィンしてしょうもない記事を読んでいただけだけど、それがカッコよかったし、そのように見られているだろうことが心地よかった。私はクライアントの単調な作業がカッコいいと聞いてそのことを思い出したのである。
もちろん、誰かに見せびらかすということとは違う。単純に自分がそれをかっこいいと思うことが大切なのだと思う。その行為を誰かに認めてもらおうとするものは種類が違うのだ。その行為自体に自分自身の中にあるカッコよさと共鳴して、誰から何を言われようとも楽しいと感じられること。そのことがとても重要なのだ。こだわりを持っているとも言えるのかもしれない。
でも、人間はそもそもかっこつけたい生き物だし、その気持ちに正直になることは人生を有意義なものにするはずだとも思う。結局のところ人間は繁殖を目的とする動物であり、どんな行為も繁殖につながることを好むものだ。女性が仕事が出来る男を好むのも子孫を残せる可能性が高まるからであり、男が仕事で出世したがるのもより良い子孫を残すためでもある。間接的に。ある意味カッコよくふるまうことは人間の本能的な行為でありごく普通でかつ当然のことなのである。
カッコつけることを忘れてしまった人は何につけてもやる気のなさを感じるし、こだわりもなく仕事をしているようにも感じるのは完全に個人的な意見である。さらに完全に個人的な意見を述べさせてもらうと、カッコつけない人が仕事への意欲も努力もしなくなってしまうのは、自分自身の中にある「かっこいい」を体現しようとしなくなったことにあると思っている。
カッコつける行為は、若い人であれば誰でもやることである。そして、若い人はエネルギーに溢れ生きる気力に満ちている。一方で、中年の人でカッコつける人はあまりいないし、カッコつけていない人は殆どの場合、仕事に対してエネルギーを感じないものだ。(完全に偏見である)人はもっとカッコつけていいと思うし、そうすべきなのだと思う。
ここからはマーケティングの話だ。クライアントのマーケティング戦略を考えるうえで、顧客にどのように感じてもらい、どのような行動をしてもらうべきなのか?という提案をすることがあるだろう。しかし、多くのマーケティング担当者は、購入するメリットや価格的な安さなどを訴求するだけに留まることが多い。しかし、そのような訴求が大きな効果を生まないことも何となく理解している。
マーケティングの重要な仕事の一つは、顧客にいかにカッコいいと思わせるかであると思っている。顧客にどんなに正しくてどんなに重要なことでどんなメリットがあるのだと訴えても、その行為がカッコいいと感じなければ人は動かないし、その行為を継続することはない。もし、何かの行動をするように促したいのであれば、その行為のカッコよさを語るべきだし、もしくはその行為にカッコよさを付け加えるしかないのだ。
だからこそ、マーケターは顧客が持つ価値観やカッコよさを十分に理解してないければならない。顧客がどんなことにカッコいいと感じるのか?そのことを追求せずしてマーケティングの業務は務まらない。