ロックフィールドと言えば「神戸コロッケ」で有名な会社である。最近ではサラダカンパニーを掲げており、主に総菜を作る会社として成長してきた。この総菜屋であるロックフィールドの成長は順風満帆というわけではなかった。過去に大きな困難に陥っている。総菜を買うことが「家事の手抜き」と考えられた時代のことだ。
当時の日本では、総菜というものは「主婦は料理をすべき」というフィルター・思考枠が非常に強く、「総菜は主婦をダメにする食材」として見えていたのである。
しかし、ロックフィールドはいずれ日本も欧米化され女性の社会進出が進み、全ての料理を家庭で作ることはできなくなると予想していた。結果、現在では家庭で総菜を出すことにためらいはそれほど強くなくなってきた。総菜を見る目は変わった。消費者は依然のように主婦は料理をすべきというフィルター・思考枠で総菜を見ることはなく、総菜は「家事を効率化させる・楽にさせる食材」として位置づけられるようになった。
しかし、これはロックフィールドの成長の本当の原動力ではない。
総菜の市場は大きく競合他社も大小非常に多い。そのような中で普通の総菜・サラダを作っても年間約500億円近くまでに及ぶ売上を達成することは出来ない。何が違ったのか?
ポイントは、総菜が世の中に浸透することで失われたもの・退化されたものを再度強化したことである。
マクルーハンは、人間が創り出す人工物は人間の能力の拡張であると言った。例えば、車は人間の足の拡張であり、カメラは眼の拡張であると言った。また、それら人工物によって「強化されるもの」と「退化するもの」があるとも説いた。例えば、電話が発達することにより対話が強化される一方でプライバシーが退化・衰退すると言った。また、時計が発達することで効率化を強化する一方で暇な時間が退化・衰退すると説いた。
今回の件であれば、総菜が浸透することで効率化が強化される一方で、食文化が退化すると言える。例えば、総菜が浸透すればするほど一人での食事や総菜のプラスチックパックに入ったままで食べる機会が増えていく。この変化は、どこかに寂しさを感じるし、消費者自身に満たされない何かを生み出していく。ロックフィールドの代表は、マクルーハンを知っていたのか分からないが、いずれにせよ、この現象を食文化の退化であると考えた。総菜を販売する企業として、日本の食文化の一部を預かっている気持ちになったそうだ。
そこで具体的に下記のような方針を打ち出していく。
単純に総菜を販売するのではなく、総菜によって「家族の団らんを豊かにすること」「食事という時間を豊かにすること」を意識したそうだ。そのために、店舗のデザイン、パッケージのデザイン、ロゴのデザイン、家で使えるお皿のプレゼントなどを実施することで、家族にとって一般的なイメージの総菜を買ってきたと思わず、総菜を特別な時間を演出できる食材となるように工夫したのだ。
総菜を「家事の効率化」というフィルター・思考枠で見てもらうのと同時に、「家族の会話を引き出す」「食事することの価値」というフィルター・思考枠でも総菜を見てもらうことが差別化に繋がり消費者にとって魅力的に映ったのである。
世の中には様々な商品サービスが新しくリリースされる。そのたびに、人間の何かが強化され、何かが退化していく。その変化を見極めることはマーケティング担当者にとって売上拡大のためのヒントが隠されているかもしれない。