自分に本当に出来るんだろうかといつも思う。なんでもそうだ。出来ることなんてほんの少ししかない。でも、そのブレーキをかける自分から逃れなければ、どんなことも出来るようにはならない。何かをするためには、順番があるとある人が言う。確かにそうだ。しかし、それは世間一般的に言われている方法であり、あなたの方法ではない。日本人はいつでもそうだ。なんでも自分の気持ちよりもやり方を重要視する。自分よりも規則であり、自分よりも手法である。でも、そのやり方も手法も誰にでも適合するものかどうかは誰も保証してくれない。
多くの日本人はそんな規則重視主義、やり方重視主義、手法重視主義に取りつかれている。何かをやる為には、こうしなければならないということに常に付きまとわれる。しかし、何かを成し遂げる人は、その呪縛から解放されている。自分自身で考え自分自身で行動している。自分のやりたいようにやりやすいように、自分に合ったやり方を探す。彼らは自由だ。だからこそ、新しい何かを見つけることが出来る。だからこそ、オリジナルが生まれる。
これをやるにはこうしなければならないという呪縛に取りつかれた人々は、常にその重みと戦い続ける。その戦いに終始して結局は何も違いを生み出せない。それはそうだ。誰もが同じように行動しているのだから。みんなと同じことをどんなに一生懸命にやっても決して違いを生み出すことが出来ないのは当たり前なのだ。人間は様々なものに縛り付けられている。そこから自由にならない限り、何も生み出すことは出来ないのだ。そして、そもそも縛られていることさえ気づいていない人間が何と多いことか。