私が本を捨てない理由は、本によって素晴らしい感動を味わったからに他ならない。この本を読むことによって多くの生きる喜びや生きる意味・尊さ様々なものを与えてくれたからに他ならない。だから、本を読み終わったからと言って捨てられるはずがないのだ。またいつか、本を手にとってその感触を味わいながら、その物語を思い起こしその感情に浸ることが出来るのだ。感動した本という実物が物理的に「実体として存在している」ことに、何か安心感にも似たものを感じるのである。目に見えるものとして存在することにだ。
その本が、電子書籍でもそれを取っておきたいと感じるのはその感情を感動をいつまでも自分の中にとどめておきたいという人間の心理がそうさせているのだと思う。きっと人間はその「取っておくという行為をしたい」のだ。電子書籍が出てきた当初、その取っておくという行為ができない電子書籍に対して多くの人がイマイチ感情的に賛成出来ないのはそのせいだったと思う。
でも現実としてその感情がいつまでも続くわけでもない。いつの間にか内容を忘れ、何でこんな本があるんだとさえ感じてしまうのだ。だから、電子書籍を一度使うとそれで十分と感じてしまう。結局は自分自身の忘れるというどうしようもない能力を認めることが出来るかどうか、受け入れることが出来るかどうかなのである。そして、殆どの人は忘れるという能力を十分に持っているから一度電子書籍を使うとそのまま電子書籍を使うようになる。
でも、電子書籍に決定的に足りないものは、「実体」である。手触りであり、重みであり、形である。そこにないという不安を人はどこかで無意識に感じてるものだ。本棚に並んだ本に囲まれていると落ち着くのはそんな理由があるのだと思う。そこに「ある」という安心感である。素晴らしいと感じた本は、丁寧に本棚に置きたいと思うし、そうしたいのである。自分がその感情を表現できる一つの方法を実体ある本は提供してくれるのだ。それが出来ることに感謝すらする。
実体があるのかないのかは、少なからず人間に影響すると私は思う。もちろん、大切なのはその実体ではない。その中身でありテキスト・文字である。しかし、それを表現するための実体があることで多くの人はその中身を多少なりとも電子書籍とは異なる、さらに強調されたものとして受け取ることが出来るはずである。読み終わった後に、手で触れて重みを感じることが出来るものとしてあることはより深く人間に用意されたすべての五感を使ってその本を味わいつくすことが出来るのである。